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街路樹を見て『論語』を思う

先日、散歩していると、遊歩道の両側の芝は枯葉いっぱいに敷き詰められていてました。ただ、白樺の木の葉はすでに散っているけど、松の木の葉はまだ青々としているというのを見て、なんとなく不思議な感じがしました。そして、すぐに『論語』のある章句を思い出しました。

 

歳寒くして   (とし さむくして)

然る後に    (しかるのちに)

松柏の彫むに  (しょうはくの しぼむに)

後るるを知る。 (おくるるを しる)

 〘訳〙 寒くなって、

     はじめて松や柏が

     散らずに残っていることがわかる。

 

 孔子は、多くの樹木は葉を落としていく中で、松や柏の葉はまだ散っていないということを通して、人間の生き方を示唆しています。

「寒くなる」とは「苦境や逆境におかれる」ということ、「松や柏の葉は青い」とは「いつもと変わることがない」ということの例えです。そこから、この章句は「人間も苦境や逆境に立たされたときに、その人間の真価が見えてくるものだ」と、多くの書籍では、そう読み取られています。

 

私は、章句を覚えたり意味を知ったりすることが重要なのではなく、『論語』の章句を自分で咀嚼して、自らの生き方に活かしていくことが最も大切だと考えています。

そこで、この章句を一歩踏み込んで、「どんな困難に遭っても、人間としての正しいあり方を保てるよう、日ごろから自分を鍛えていくことが大事なんだ」と、私は解釈しています。