今年から、20数年前の教え子の山口くんとはじめた『論語』の学び。
1回目は、「孔子の生涯」や「『論語』成立の背景」など、概略的なことを一緒に学びました。
このとき、山口くんが、『論語』を知識として覚えることが目的ではなく、『論語』の言葉を自分の中にしっかりと落とし込んで、それを生き方に活かしていこうとする姿勢に、とても感動しました。
そして、2回目となる先日、山口くんの学ぶ姿勢に感心するとともに、大きな刺激ももらいました! なお、写真は、顔出しNGということで使わさせてもらいました。
さて、今回取り上げたのは、山口くんのリクエストで、「夫子の道は忠恕のみ」という言葉です。某大学名誉教授2名の口語訳も使いながら、内容理解にとどまらず、「忠」と「恕」の漢字の意味を考えながら「忠恕」に込められている孔子の哲学信念に迫っていきました。後半は、「そもそも『道』とは何か」ということも探究していきました。
山口くんにとって少しは難しかったかもしれませんが、彼の鋭い質問に私自身が何度も学びを深めさせてもらいました。『論語』の言葉を間に二人で話していると、あっという間に1時間が経過していました。
この日の山口くんの感想です。
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まこと(誠実)と思いやりという言葉はよく使用される。
しかし、継続して実践していくことが難しいことであるかを考えさせられる章句である。
そして、最後が『のみ』と断定していることからも非常に大切であることが伺える。
論語には専門家においても根幹部分の解釈は変わらないにしても、枝葉の部分で言い回しが異なることがある。
その点からも見比べてみることが重要。
それぞれの解釈から逸脱しない形で自分の中に落とし込み、すぐに頭に浮かぶようにすることを目的としたい。
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最後の一文で、『論語』を学ぶ目的が述べられているが、実はこのことが一番大事なことだと考えています。
古典を知識として学ぶのではなく、先人の言葉を普遍的な教訓とすることで、現代に生きた「教科書」としてのです。
そのようなことを考えている山口くんと『論語』を読み解いていく時間は、まさに「亦楽しからずや」そのものです。